今日も、お立ち寄りありがとうございます。
タイトル道理ですが、昨年12月28日に父を亡くしました。享年69歳
父ははじめ、間質性肺炎を患い病院の入退院を繰り返していましたが、
12月27日に新型コロナウィルスに感染し、翌日の12月28日午前10時10分
に死亡の確認をしていただきました。
看護師さんから12月25日に電話があり『最後かもしれません』っときき病院へ
妹と母、私で父との面会が許され『病院によってはダメ』
お父さん37年間ありがとう、といえてあの時の
看護師さんには、感謝しかありません(´;ω;`)ウッ…
父との最後の会話でした。
そのあと、同じ病室に12月26日に入院されてきた患者さんに新型コロナウィルスの陽性者がいる事が判明し、父をはじめ看護師さんも感染してしまい。クラスターが
発生してしまっていました。
翌日に、父が息を引き取りました。
その時、自分は仕事中でした、母から聞いた感じだと、アッとゆう間に
父が袋に包まれ顔も見れないまま運ばれていったそうです。
死に目も見れないまま、火葬でした。火葬も近親者のみの5人まで
コロナにかかっただけで・・・・・悲しすぎる最後でした。
父は、生前薬を毎日20錠以上飲んでいたので骨は残らないもしくは
少ないと思っていましたが、骨壺に入りきらない骨の量があり
びっくりしました。
そして、葬儀の準備、火葬、49日の準備、お墓、相続、年金、車などなど
やることいっぱいで、今は手分けしてやっています。
今日は、葬儀も音楽葬という今風の葬儀に49日法要の準備をしつつ
位牌の準備を行いました。ここまで1か月アッとゆうまでした。
多くの方に見守られて支えていただきありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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